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教員インタビュー02

Faculty interview 02

ITソリューショ学科 教授 吉岡弘隆(よしおか ひろたか)氏

担当科目/オープンソースソフトウェア概論

ハッカー魂を身に付け、
次世代のイノベーターを目指せ!

IT黎明期からノウハウを蓄積し続けるプロフェッショナル。

――まず、先生の実務キャリアを教えてください。

吉岡1984年に大学院を出て、DECという米国のハードベンダーの日本法人に就職、ソフトウェア開発や米国製品の日本語化を担当していました。94年に日本オラクルに転職、データベースシステム・Oracle8の開発に参加しました。2000年に日本オラクルの社内ベンチャーでミラクル・リナックスを立ち上げて取締役CTOになり、2009年からは楽天で技術理事をしています。

――PC業界での長い経歴のなかで、ご自身のエポックとなった出来事は?

吉岡米国オラクルに出向となり、シリコンバレーでOracle8開発に参加したことです。開発グループに日本人は私だけ、そもそも言葉が通じない中で七転び八起きしていました。でも、楽しかったという思い出ですね。

――その環境を楽しめた理由はどこにあったのでしょう?

吉岡やっぱり、新しいものをつくっているという自負、見るもの聞くものすべてが自分の力になっていく自信があったからでしょうね。語学に関しては実践あるのみ、意外とどうにかなると思ってました(笑)。実際はどうにかなってなかったのかもしれませんが、仕事の話ってのはネタが決まっているからコンテキストを共有できるわけです。そのかわり雑談が難しかった。ジョークを解説してもらっている間に、次の話題に移ってるんですから(笑)。

――PC・ネット黎明期からご活躍されているわけですが、その分野に興味を持たれたきっかけは?

吉岡中学生の頃からコンピュータをいじっていたのが大きかった。就職に関しては、自分が好きな分野が他になかったからという消極的な理由なんです。ただ、私が大学に入った1977年は「AppleII」が発売された年です。他にもホビー向けのパソコンも登場していて、「これは世の中を変える、ここから何かが始まっちゃうんだ!」という実感はありました。

――当時のPC業界は、どのような状況だったのですか?

吉岡社会人になった84年当時、コンピュータというのは単体で使うものでしたが、DECは世界中のオフィスがひとつのネットワークでつながってた。80年代にインターネットのようなものを体験して、社会が変革していくだろうと早い時期から想像していました。アメリカでは、サン・マイクロシステムズが創業、UNIXワークステーションがすごい勢いで伸びていく様子を見ていました。結局、UNIXの革命が起きて、DECはつぶれてしまいましたが...。

――社会の変革というのは、全社的に共有する危機感ではなかったのですか?

吉岡技術的な進化は知っていたが、どうなるかは分かってなかったんでしょうね。私もDECがつぶれるとは思ってなかったですが、PC・インターネット・UNIXワークステーションを無視したら、生き残れるわけがなかった。だけど、「うちの会社の技術が世界一」「UNIXはおもちゃみたいな商品」という思い込みがありましたね。現実には、価格競争力でまったく及ばなかった。ユーザーにしてみれば、たとえおもちゃであっても問題が解決すればいいし、値段が安ければなおいい。それに気が付いてなかった。かりに気がついていても会社としてその変化に対応できなかった。今まさに、日本の大手家電メーカーが苦しんでいる問題と同じですよね。この状況で「高くてもいい物を...」と眠たいことを言っているのは、まさにイノベーションのジレンマにやられちゃっているんです(笑)。

――苦戦する日本企業の問題点についてのお考えは?

吉岡日本という土地は特殊で、変化に適応できない大手企業がつぶれない。かなりまずいことなんですよ。つぶれないから優秀な人が外に出ず、人材の流動性が高まらない。先日、ある大手メーカーの話を聞いたら、中途入社をほとんど採っていませんでした。新卒の一括大量採用ではダイバーシティもないし、新規事業を立ち上げようにも素人が手掛けることになって競争力が伴わない。シリコンバレーのモデルというのは、プロフェッショナルが少人数で立ち上げ、ある程度まで行ったら組織を固めるためにM&Aがあったり、プロのCEOが来て大きく育てるという過程があるんです。インターネットのような新しいシステムが次々に出てくる業界ではなおさらです。オープンソースも新しい概念なので、日本の老舗企業では理解までに時間がかかり、10年経ってようやく利用するという状況。すべてにおいて後手後手になっている感じはしますね。

ハッカー文化を身につけ、伸ばす環境をBBTの学生とつくりたい。

――後手後手の状況を変えたいというのが、カリキュラムの根底にあるわけですね?

吉岡そうなんです。インターネットの世界というのは、「ハッカー文化」「ハッカーウェイ」でつくられている部分があるんです。説明するのは難しいですが、コンピュータを使って世の中を良くするんだ、芸術をつくるんだという価値観と言えるかもしれません。非常に楽観的な価値観ですが、それを共有する人達がコンピュータ産業を進化させていったんだと思う。そのような価値観を私は伝えたいんです。

――日本にも昔からあった価値観なんでしょうか?

吉岡だって、コンピュータというのはアメリカにもなかったんですよ(笑)。人類にとってはせいぜい50年の新しい道具。それをいい方向に使いたいという欲求は、どこの社会にだってあるんじゃないでしょうか。

――最近は、ネットベンチャーの大学生がすごく頑張っているような気がしますが、ハッカー文化に関して世代的な差異があるのでしょうか?

吉岡私は、世代論にはあまり与しなくて、どの世代でも大手志向の保守的な人達がいれば、ベンチャー志向の元気のある人もいっぱいいます。ただ、問題なのは、ハッカー文化というのが言語化されない"暗黙知"であって、継承・伝播するのが難しいといことです。同じコミュニティや徒弟制度で伝えるしかないんです。その後、継承によって言語化されて形式知になり、教科書として世に出る頃には、10年ほどの時間的差異が出てしまいます。インターネットで10年間の差異があったら、教科書としては機能しませんよね。特に競争力のあるサービスをつくることにおいては、大きなハンディキャップにある。その時差をどうにかして縮めたい、その方法を考えていきたいのです。それをBBTの学生と共有できたら面白いなと思っています。

――授業では具体的にどのようなことをされていこうとお考えですか?

吉岡オープンソースが生まれた背景には、ハッカー文化はあるだろうし、それぞれにコミュニティという得体の知れない物も関係してきます。そういったことを実習を含めて学んでいき、オンライン勉強会も開いて、コミュニティのメカニズムも体験できたら面白いと思っています。

知っていることを「できること」に変えていく学習をしよう。

――最後に入学希望者に向けたメッセージをお願いいたします。

吉岡BBT大学で、学び方を身に付けてほしいと思います。新しい知識を得るために学習があるわけですが、そのメソッドにはあまりイノベーションが起きないような気がするんです。授業を聴き、練習問題を解き、最後に課題をクリアするという学び方は普遍ですよね。そこにイノベーションがないのだとしたら、学び方というもののパターンを身につけられるようになってほしい。野球だって、最初はキャッチボールで肩を慣らさないと速球は投げられません。今はインターネットという道具があるので、いきなり豪速球を投げがちなんだけれど、その前に一歩引いて、例えば図書館に行ってみるとかネット以外の情報収集を実践してみてほしい。そういう王道の学習法を再発見してほしいのです。知識だけではなく 、スキルも身に付ける。それが、知っていることをできることに変えていく第一歩だと思うからです。こう話してみて、私の授業も知識を与えるだけではいかんと感じています。他で調べれば分かるようなことも教えたくないですしね。皆さんのような次世代のイノベーターが、何かヒントをつかむ場所にするために一緒に頑張りましょう!

吉岡 弘隆
主要担当科目
オープンソースソフトウェア概論
経歴
楽天株式会社
詳細
1984年慶応義塾大学大学院修了。外資系ハードウェアベンダ(DEC)を経て、米国OracleでOracle8エンジンの開発に従事した後、2000年にミラクル・リナックスの創業に参加、 取締役CTO。2009年8月より楽天株式会社。開発部所属。技術理事。社内にHacker Centric Cultureを根付かせることがミッション。社内SNS、開発コミュニティの推進。カーネル読書会主宰。著書にDebug Hacks (共著)
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