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2016/3/28

「教養×ビジネスを強みに海外(インド)での起業を考える!」セミナー アフターブ・セット客員教授

〈BBT大学イベントレポート〉

「教養×ビジネスを強みに海外(インド)での起業を考える!」セミナー
アフターブ・セット客員教授

 
2015年12月5日、ビジネス・ブレークスルー大学麹町校舎で、特別セミナー「教養×ビジネスを強みに海外(インド)での起業を考える!」が開催された。このセミナーはインド大使館の協力のもと、本学客員教授であるアフターブ・セット氏の『旭日大綬章』叙勲記念として講演されたものである。このセミナーでは、半世紀以上に亘る日本・インド間の協力関係及び友好親善の促進に貢献されたセット氏による、日印関係の歴史と現状についての考察の他、インド大使館のカプール氏、株式会社富士通総研シニアコンサルタントでBBT大学非常勤講師でもある杉本有司氏、株式会社チェンジ代表取締役COOの福留大士氏といった、インドビジネスの有識者にご講演いただいた。なお、セット教授はご家族の急病との理由で急遽帰国され、この日はVTRによる講演となった。
 
アフターブ・セット教授
 
 インドと日本との関係を良好にするべく長年努められた功績により『旭日大綬章』の叙勲に至ったセット教授は、今後の日印関係について以下のことを提起した。
・日本の核エネルギー技術の輸入
 法改正により日本が防衛装備を輸出できるようになったことと、翻ってインドは電力等のインフラが整っていないことを挙げ、インドの人々の生活水準を上げるためにも技術の輸入が必要であると述べた。
・インド北東部の交通網インフラ開発への出資
 日本がデリーやチェンナイ等の都市に地下鉄をつくりインフラの構築に大きく寄与したことを評価された上で、アジア地域との直接の交易の足掛かりのためのインフラ整備として、インド北東部の道路や鉄道の開発への出資を求めた。
・両国間の貿易の増加
 アジア地域の安定や繁栄のためにも両国の協力関係が不可欠であると提言した。

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カプール氏(インド大使館)

 
 まずカプール氏は「インドという国についての概況」を説明。
【人口】
 人口の50パーセントが30歳以下であり、若者の占める割合が多い。
【言語】
 多くの州に分かれているため、州によって言語が違う。ヒンディー語話者が最も多く、公用語でもある。40以上の主要言語があり、200以上の方言がある。しかし英語も公用語なので、ビジネスに関しては問題が起こらない。
【産業】
農業や手工業が主な産業であり、人口の50パーセントが農業に従事しているものの、農業がGDPに占める割合は20パーセント程度である。政府は工業等の就業人口を増やしていくことを考えている。
【GDP】
昨年(2014年)のGDPは7.4兆円であり、7.5パーセントの成長率である。今年(2015 年)は8パーセントとなる見込みである。
 
 これらの概況に加え、中流層の人口が増えていることや投資に対する見返りが大きいこと等から、インドが信頼できる投資先であると述べた。また、ほとんどのインド人が英語を話し、IT関連の輸出やアウトソーシング、ソフトウェア関連などに強みがあることを挙げ、多くの多国籍企業でインド人が活躍していることを報告した。
 
 次にカプール氏は、「外国人によるインドでのビジネス」について説明。
まず、政権が交代したことで、一つの窓口で手続きが済むように法改正されたことから、ビジネスがしやすくなったと述べた。
次に、英語がインドの公用語の一つであることから、外国人がインドでビジネスをする上でのハードルは低いとの見方を示した。さらに、地域によって大きく文化が異なることを考慮し現地文化に対する理解を深めておく(祭事の時期や宗教的催事など)と、より強固な関係を築くことができると言及した。
 そして、ビジネスにおいても社会全体においても階層が分かれており、そして未だに所属階層が重要視されるので、一緒に働く人の階層に注意を払う必要があることにも触れた。その他、会社の運営費用や日用品等が安いことを魅力に挙げた。
 
 そしてカプール氏は、「インドと日本の関係」について説明した。
 まず、今後4年の間に法人税率を30パーセントから25パーセントに引き下げる。
次に、2012年に事前確認制度(APA)が導入されたことで、移転価格の課税における不確実性の排除と予見の確保が可能になった。これにより、特に親会社が海外にあり子会社をインドに置いている大企業が課税の合意を得やすくなり、多くの日本企業がAPAに申請している。
 そして、昨年行われた両国の首脳会談の結果、日本の企業には特別のインセンティブが与えられ、事業運営のためのインフラが整えられることになった。
 
最後にカプール氏は、日本の高齢化が進む一方でインドは人材が豊富であることを挙げ、「相互の補完性を高めることで、日本企業がインドで事業を展開することに繋がっていく。現在、1100の日本企業がインドに存在する。今後の両国の関係の発展のためにも、トップ同士が会談を重ねていくことが必要」と提起し、締めくくられた。
  
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杉本有司氏「インドマーケット概況・インドビジネス成功要因」


株式会社富士通総研シニアコンサルタント BBT大学非常勤講師

 
【インドマーケット概況】
杉本氏はまず、インドの特徴として以下三点を挙げた。
多様性:人種、宗教、言語、文化、慣習、嗜好性などが、それぞれの地域もしくはコミュニティによって大きく異なる。
連邦制:各州が異なる法・制度を設けており、人種の多様性にとどまらず各州の政治形態も様々であり、州政府の影響力が強い。
低インフラ水準:交通、電力、物流といったインフラはまだまだ未発達である。
しかしながら政治は複雑ながらも民主主義として安定しており、クーデターといったネガティブなことは起こりづらい国家であることや、経済成長に関しても着実に伸びており、現在多くの成功モデルを生み出していると述べた。
 
次に杉本氏は、インド市場が注目されている理由を「人」「所得」「経済成長」の観点から説明した。
:インドは今急激に人口が増加しており、2025年には14.6億人、2050年には17億人に達すると言われ、2025年に世界一の人口規模にまで成長した後も2050年までは若者層中心の人口構成を維持し続けることが見込まれている。人口ピラミッドも25歳以下が50パーセントという若年層中心の構成である。
所得:中高所得層が急速に拡大し、また、テック系分野の高度人材が年間50万人の規模で輩出されている。また2015年を境に低所得層が半分以下になり、中・高所得層の比率と入れ替わるとされている。
経済成長:現在の名目GDPは世界第12位だが、2025年には世界第4位(日本と同規模)となり、さらに2050年には世界第3位(アメリカに準ずる規模)になると予測されている。経済構成は約70パーセントが内需であり、安定した成長推移を見せている。しかし一人あたりのGDPは標準化すると1700ドル程で、高い地域では5000ドルを超える一方、北東部では1000ドルを切り、州によって格差があるのが現状である。この一人あたりのGDPを中国と比較すると、ちょうど10年前の中国の水準になり、高度成長期時代の日本や直近10年の中国をこれからのインドが追っていくと展望されている。

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【日系企業によるインド市場参入の経緯】

ここで杉本氏は、本格化する日系企業の対インド事業について、ここ10年の経緯を解説。2003年のBRICsレポートを機にインドが投資対象として脚光を浴び、日本企業もインドに進出するようになったが、日系企業のインド参入は2010年には700社を超え、2013年には1000社、それ以降も毎年100社以上の増加傾向にあること。また企業数の増加もだが、事業拡大に応じた拠点数の拡大が著しいのが特徴であり、これは国土の広さに起因するもので、オペレーションの拠点を各地に作っていく企業が多いことの表れであること。さらに、杉本氏がインドにいた2005年頃は1000人程度だった在インド日本人は2014年には8000人を超え、今後も規模は拡大していくと見られていることなどである。
また、日系企業による対インド投資動向については次のように解説。自動車を主とした日系製造業の集積が呼び水となり、ホテルやレストラン等のサービス、金融、通信の進出も活発化してきていること。また、進出済み自動車メーカーの生産規模拡大と新規メーカー進出に伴うサプライヤー企業の追従投資が一段落する一方、工作機械、オートメーション機器・設備、エンジニアリングサービスなど周辺産業へ投資関心が拡がっており、ASEANのサプライチェーンにインドを組み込み生産の拠点にしていく動きがあること。さらに着目すべきは、インドにR&D拠点を設置する企業が出てきた点であり、現地化や為替リスクヘッジが可能になることで、インドから世界に製品を輸出する流れが今後活発になると見られていることだ。
しかし、2015年「インド公開企業ランキング」上位100社のうち外資企業は2社のみであり、インド市場は外資にとっていまだ難攻不落であることが窺える。他方、グローバル市場にて台頭するインド企業・人材の数は1991年の経済自由化を皮切りに加速度的に増し、ソフトバンク副社長ニケッシュ・アローラ氏、グーグルCEOスンダール・ピチャイ氏といった優れた人材を輩出しているのみならず、従業員のインド人比率を見てもNASAが36%、マイクロソフト社は34%、オラクル32%と高い比率を占める。またインド企業による海外企業買収では、2007年のタタ・スティールによる英蘭鉄鋼大手コーラスの買収(1兆5500億円)や、2010年のバールティ・エアテルによるアフリカ大手モバイルキャリアのザイン・グループの買収(1兆円)など活発であり、インド系経営者・技術者・企業らのネットワークは、グローバルビジネスに大きな影響力を持ち、看過できない状況にある。
 
【インドビジネスにおける障壁と対策について】
このように、インド企業が海外・国内市場ともに攻勢を占める一方で、日系企業はインド市場参入において難航を喫しているが、その障壁に挙げられるのは、貧弱なインフラ、通関等諸手続きの煩雑さ、そして賄賂等の慣習である。そしてこの問題は日系企業だけが直面している訳ではなく、他国企業もしくはインド国内企業においても顕在しており、問題の本質がどこにあるのかを改めて捉え直す必要があると杉本氏は言及する。そしてその上で、日系企業のインド市場参入に際する立ち位置が、既に取引先がある企業やASEANの延長線上であるといったセキュアな範囲で留まっていることにより、機会を逸しているのではないかと提起。というのも新興国であるインドでは今、インフラが未成熟な状態のまま最新テクノロジーが普及するという事態が起こっている。彼らは、固定電話や公衆電話からモバイルフォンになりスマートフォンに至る、または実際のショッピングモールで買い物をする経験を経てECサイトで買い物をするといった先進国が体験しているインフラの変遷を見ることなく一足飛びにテクノロジーの最先端を受け入れてしまっている為、先進国の価値基準を軸にしたビジネス手法・思考・組織・そしてスピード感に則ったアプローチが正攻法であるという発想でいると全く通用しないのだと杉本氏は解説。
今日の企業の競争環境はテックの発展が顕著である2011年を境に大きく変化し、“Disrupt, or be Disrupted”(破壊するか、それとも破壊されるか)の状況にある。インド人は多様な環境下で育ったことから、ユニバーサルなマインド、価値観、物事へのアプローチなどを自然に習得している。ゆえにインド企業・人材が存在感を高めているのは必然である。強い企業というものは、変化に対応する「柔軟性」「俊敏性」「即応性」が求められる。この点を踏まえ、日系企業がインド市場だからできる事、やらなければいけない事を模索するべきだと杉本氏は言及する。
 
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【事業化の検討とインドを活用するヒント】
インド国内には多種多様なニーズがあり、ニッチな市場でも大国だけに個々が一定の規模を持っている。日本の企業がインド市場を見る際に真っ先に検討するのが「人口の規模」や「一人あたりのGDP」だが、その統計値から潜在市場の大小を判断することに杉本氏は警鐘を鳴らす。交通インフラを例に挙げると、道路の総延長は425万kmと日本の4倍の道路網が未成熟であり魅力的な市場に映るが、建設コストは4車線道路でRs. 6千万/kmと日本の約20分の1であり、事業にならないからである。しかし地域特性という視点にスライドさせると、インド北東部はいまだ開発途上にあるが、山岳地帯で寒暖差が激しく、地震が多く、そしてパキスタンや中国との国境に接するため国防上の要衝でもある。これらを鑑みることで素材のスペックに対する多大なニーズがあることが浮き彫りになり、日本企業の強みである「高機能素材&施工技術」を活かしたビジネスができるのではないかと杉本氏は提言。有り物を売るという商売ではなく、バリューチェーンを念頭に置き、現地化した製品を開発させていく必要がある。そのためにも市場とのコミュニケーションを密に図り、そこから得た情報をタイムリーに反映させ、そして全体像を見ながら、自社で賄う所と現地企業に委ねる所とをケースごとに考えていくことが肝要だと杉本氏は述べる。
また、インドでは2013年以降スタートアップが毎年1200社くらいのペースで増えており、主要国の「IT関連スタートアップ数」ランキングでも3位、かつ都市部に集中している。このインドの新しい力を我々はビジネス開発に活かしていくべきではないかと杉本氏は述べる。
かつて我々の社会には明確なゴールがあり、企業や国家という枠組みの中で皆が連携し協力しながらゴールに向かっていけたが、今や国家の存在感が薄くなり、企業が国家を選び個人が企業を選ぶ時代になってきている。だからこそ、枠組みに代わって結びつけるものとして「共鳴」「共感」が叫ばれるようになってきた。彼らにとって良いことは何か、良い社会とは何かを模索しアプローチしていくことで「共鳴」「共感」を得て協力体制を築きあげていくことができると考えている。そしてそのためにも、インド現地のスタートアップと協同していくことに意味がある。このように杉本氏は発表を総括した。
 

福留大士氏「インド進出体験談!」
株式会社チェンジ 代表取締役COO

 
【「得意・好き・儲かる」が重なり合う部分がビジネスのスイートスポット】
 高校時代、世界史の授業中にインドの文化をヒントにした『君にカースト制度』という報われない恋の歌を作ったり、大学時代、一ヵ月インドを放浪し衝撃を受け「インドが俺を呼んでいる」とインドでビジネスをすることを思い立ってしまったりと、かれこれ20年以上前からインドに魅入られていたという福留氏。大学卒業後IT系コンサルティング会社に就職し、人・組織・そしてITについて学んだのち、2003年に独立。人とITとを使った企業の生産性を革命する事業を展開し、国内での事業の経常利益が1億を超えた2007年よりインドビジネスに挑戦するが、そのインド事業の勝敗は今のところ1勝2敗であるとのこと。1勝はコンサルティングビジネスだったが、それも辛勝というのが実情だそうだ。しかしこれらの経験により福留氏は、ビジネスのスイートスポットとは「得意・好き・儲かる」の3つが重なり合う部分であるという解を導き出せたという。
 福留氏の場合、元々コンサルティングの会社に勤めていたこともあり、「得意」がその領域であった。そして人の会社の手伝いをすることが「好き」で、またコンサルティングビジネスは「儲かる」ものであったことが一勝の要因であると分析する。
具体的な事例としては、JICA主導による日本の文具メーカーのインド支援事業と、同じくJICA主導のもと大手広告代理店と協同したエデュテインメント事業が挙げられる。
文具メーカーのインド支援事業とは、そのメーカーが創業時に作っていた個人商店向けの帳簿ノートを応用し、農村部や貧困層の多い地域に住む読み書きができない人向けに、ビジュアルでお金のやり取りを記録できるノートを開発し普及させていくという取り組みである。エデュテインメント事業とは、農村を移動映画館で回り、その地域の人たちを集めて映画を見せることで、「手を洗いましょう」といった衛生知識を向上させるプログラムである。
ここで福留氏は、日本の企業は意思決定が遅く、ほぼ決断していない会社が多いことを挙げ、しかしインドで成功している日本企業はいずれも意思決定ができる会社であり、現地法人に権限を委譲して任せられる会社であると言及。そして、起業する際に必ず、自分の得意分野は何か、好きで継続できることは何か、そしてどうすれば儲かるかを考えてほしいと述べた。
 
【失敗その1はIT】

2敗の1つ目はIT事業である。2008年にインド人が経営するIT会社の買収し、ITの技術者を大量に抱え、日本に常駐させていた。さらにインドにも開発リソースがあり、日本とインドとで開発リソースを大量に抱え、システム開発の受託をしていたという。具体的には、アメリカでインド人のIT技術者が作っているソフトウェアやシステムで日本にはまだ導入されていないものを、インド人のノウハウを使って日本企業に展開するというビジネスである。例えば当時グルーポンが日本の市場を席巻した時期があったが、そのビジネスモデルを10社近くが応用していた。そのサービスを1ヵ月や2ヵ月で作りリリースしていたのが福留氏の抱えていたインド人IT技術者たちだった。
当初このビジネスは非常にうまくいき、ビジネスは順調に拡大していった。しかし、この会社が純然たるオフショアではなく日本に一定数のインド人を呼び日本で開発させるという事業形態を取っていたことが失敗の引き金となる。2011年3月に東日本大震災が起き、その2日後に福島の原発ニュースが世界中に広がった。インド人は非常に家族との結び付きの強い国民性であったため、全員を帰国させざるを得なくなってしまい、プロジェクトも全て凍結。清算するのに翌年の2月までかかり、当初は利益を上げたものの、その後の損失を含めると大きな負けという結果に終わった。
 
【失敗その2は飲食事業】
 2敗の2つ目はインドでチャレンジした日本食レストラン事業である。福留氏いわく、日本の経営者はインドの魅力をどんなに伝えてもインドに行こうと思わないという。そしてある経営者に「自分でやってみたら?」と言われたことを契機に、2009年「IZAKAYA」というレストランを立ち上げた。このレストランは現地のニュースにも取り上げられたとのことである。
ここで福留氏は、サプライチェーンや人の採用・教育法など、外食産業においてコンサルタントとして論理的に考えられる全てのことをやり、それをサービス化し、日本企業に売り込もうと考えていた。しかし結果的にはこのビジネスは大失敗に終わった。いくつかの要因があるが、その中でも特に大きいのが不動産を買わなかったことである。日本で飲食業を始める際に不動産を買おうという発想はほぼないと思われるが、20年のデフレに慣れきった日本人の脳味噌が福留氏の前提を狂わせた。当時、不動産の賃料は1ヵ月150万程度だったが、1年後には150万が200万になり、2年後には200万が230万になった。3年目で撤退したが、その時には賃料が250万になっていた。売り上げが400万を超え、損益分岐点を達し軌道に乗ってきたという時に、ありとあらゆるものの値上げがあり、そして何より賃料の値上げが毎年著しく、まともに利益が取れなかったという。
2009年当時は、デリー郊外には不動産物件はいくらでもあった。もし最初に不動産を購入していれば、おそらく資産価値は今頃2.2倍から2.3倍になっていただろう。事業を始めるうえで、日本の前提をインドに持ち込んでしまい、インド市場に適応できていなかったのが一番の失敗要因だったと福留氏は回顧する。
ちなみに、もしインドで再び外食産業にチャレンジすることができるならば、日本風カレーを売るという。日本風カレーは現地の日本人のみならず現地のインド人からも評判が良いのだそうだ。今度は無店舗で、デリバリーサービスとして行い、そして日本の材料ではなく、現地の日本のカレーの素材に近いものを用いて作り、提供してみたいとのこと。
 
【痛い目に遭って、失敗から学習することが成功に結び付く】
 福留氏は総括として、日本とインドの環境の違いをどこまで洞察できるかが重要であると述べる。デフレに慣れきった我々日本人の体質や、物事を決めるときのスタイルや、お金の使い方や、金利、ファイナンスの考え方といったありとあらゆる前提が違うということを基に、組み立てていくことが大事であるとのこと。
 そして福留氏は、「得意で好きで儲かる」領域を見つけることができれば成功すると改めて言及。2敗した1つ目の「IT事業」は、得意で儲かるものではあったが好きではなかった。2つ目の「レストラン事業」は、好きではあったが得意でも儲かりもしなかった。あくまで3つが重なることが大事であると語った。
 インドのマーケットは無限にあり、あらゆる領域でビジネスチャンスがある。若いうちに早くスタートして早く失敗した方が良い。実際に金を払って大損し、痛い目に遭って学ぶことが成功に結び付く。失敗から早く学習することは重要であり、ビジネス・ブレークスルー大学のコンセプトでもある。突破していく力がインドのビジネスでも求められている。ぜひ皆さんもインドでの起業に挑戦してほしい。このように福留氏は提起し、発表を締めくくられた。

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   会場の参加者たちは、インドでの実体験に基づく考察の数々に対し、真剣に耳を傾けていた。プレゼンテーションの後にはディスカッションの時間が設けられ、インド復興の根幹にあるナレッジコミュニティについて、インド政府の外貨・外資の受け入れ態勢について、また印僑とアメリカの関係、人口と雇用問題、そしてインド企業との取引や買収における留意点など、様々な角度からの質問が飛び交い、闊達な議論が行われた。
起業を志す多くのBBT学生にとって、生きた経験を聞く貴重な会であり、新興国の発展の速度や、ボーダーレス社会におけるビジネスのあり方といったマインド設定についても多くの示唆がもたらされた、学びの発展性の高い有意義なイベントであった。

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