Not too late!好奇心のマグマが沸き立つ場所へ
21歳から広告の世界に入り、クリエイティブディレクター兼コピーライターとして第一線で活躍。50歳を前にしてBBT大学に入学し54歳で卒業。現在は、東京本社・名古屋支社の総勢30名を抱える広告制作会社の代表取締役として、経営の舵取りを行う。
2011年3月11日、突如として発生した東日本大震災。日本を襲ったこの出来事は、人々の行動や意識に大きな変化をもたらした。救援物資と共に宮城県三陸へ向かったのは、広告制作会社を経営する有澤卓也さん。入学のきっかけにもなった当時の想いを聞いた。
まもなく50歳、生き方をリセットしたターニングポイント
東日本大震災で大きな被害を受けた三陸の現場で、津波の惨禍を目の当たりにしました。瓦礫の山、どこまでも続く地平線、潰れた家屋や車…。変わり果てた町の光景を見ながら、ふと、これまでの生き方をリセットしなければならない、「知ったかぶり」だった自分をゼロにして、いろんなことをイチから学んでいかなければならない、という想いが込み上げてきたのです。
自分自身の考え方や生き方、あり方を根本から考え直さない限り、前に進むことができませんでした。49歳という年齢から学び直すことに不安はありましたが、人生をやり直すのに遅すぎるということはありません。この決断が、私の人生を変えた大きなターニングポイントになりました。
「右脳」×「左脳」のデザイン提案術
昼は広告制作会社を経営しながら、夜と週末はオンラインで学習。BBT大学で学んでみて、何よりその質と量に納得しました。大前研一学長が指導する週に1回の『RTOCS®』で取り扱うのは、国内外の経営者やリーダーが取り組んでいる現在進行形の生きた課題。理論重視のアカデミックな内容ではなく、業種・業態を問わずに「今」を教科書にしたビジネスに活かせる学習内容で、これを52週×4年間も取り組むのです。どんな大学に行っても、これほどの実践的な学びはありませんし、どんな分野も全方位的に網羅されているという安心感がありました。
BBT大学での学びの成果は、顧客へのデザイン提案にも効果が現れました。仕事柄、様々な顧客の課題と対峙するのですが、これまでは、顧客からいただいた課題をベースに、広告の見せ方やアイデア、仕掛けを提案していました。ですが、右脳(感性)的発想になりがちなクリエイティブワークを、左脳(事実ベースの根拠)的発想からスタートさせることで、説得力のある、かつインパクトが高いデザイン提案ができるようになったのです。「右脳は左脳で強くなる」と気づかされた瞬間でした。
年齢や経験は関係ない。マグマのような好奇心を
私の場合は50歳を前にしてBBT大学へ入学し54歳で卒業しました。周囲からは「その歳でよく始められたね」と言われることもありますが、学び始めるのに早い、遅いということは決してありません。Not too late! むしろ、年齢を理由にチャレンジを諦めることの方が面白くない。いくつになっても好奇心がマグマのように沸いている人とは、一緒にいるだけで単純に楽しいし、何より魅力的です。BBT大学の学びは決して楽ではありませんでしたが、厳しいからこそ得たものも大きく、自分の生き方が大きく変わったと実感しています。