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開拓ストーリー第二章へ。
次の日本への帰国日はまだ未定。

川ノ上 和文
独自の視点で日本と中華圏を駆け巡る開拓者

大阪府出身。BBTに2010年一期生として入学、その後休学を経て2016年退学。2020年に再入学。20歳の時に北京へ留学、その後北京、上海、台湾、深センで活動後、2017年から拠点を深センに移し企画プロデュース・ビジネスリサーチなどを行うエクサイジング(中文:翼彩創新)を創業。現在は日本法人(エクサイジング・ジャパン)も設立して、クロスボーダーのプロジェクトを手がける。ドローンをはじめ新興産業リサーチや現地のビジネスネットワークの開拓、キーパーソンや業界団体との関係強化等のコミュニケーションサポートや事業開拓業務を手がけている。2019年5月より日本発のドローン技術開発スタートアップであるエアロネクストの深セン法人である天次科技(深セン)有限公司の総経理(現場責任者)に就任。現地企業との提携や大学との共同ラボ設立などを手がけ、現地でのビジネス基盤開拓を進める。先行する中国の事例を追いかけ、タイムマシン観点での事業開発をサポートしながら、中国市場にクサビを打つために奮闘中。

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自分のアンテナを信じ続ける。

20歳で単身北京に留学。中医学を学びに行くも、人間機能の拡張や空間創出に関心を持ち、いまや最先端のドローン産業を、中国の事例研究をしながら事業構築していく役割を担う。ひたすら自分のアンテナを信じて活動するエクスプローラーであり、様々な情報、知見、ヒトを触媒としてつなぎ合わせ前に進めるアグリゲーターである。

一期生ですが、再入学しました!

BBTで出会った恩師の一人 小林慎和先生

BBT大学に10年前に入学しました。つまり、開学時の一期生です。でも途中で仕事が忙しくて手が回らなくなったのと、資金不足で休学し、結果自主退学。ですが、10周年に当たる今年(2020年)、再び入学しました。出戻り組です(笑)。

再入学したのは、10年前からお世話になっている教務課の方と退学してからも繋がっていて(というか気にかけていてくれまして)、昨年お会いした時に聞いたBBTの新しいコンテンツのラインナップが楽しそうだなと思ったのが一つ。もう一つは、退学してからの3年ちょっとの間、自分で実際に事業を始めてみて、自分の得手不得手もわかってきたので、得手はさらに伸ばして、不得手はちゃんと任せられるような「経営」という共通言語を持ちたく、また門を叩きました。特に「事業構想ラボ」という活動に興味関心が湧きました。“ラボ“という場創りを今のビジネス拠点である中国・深センでも取り組んでいく上で、その過程自体をBBTでの学びの実践知にできると考えました。

10年前に入学した当初は、面白い講義はあるけれど、どうビジネスに活かせばいいのか正直あまり実感がありませんでした。何か正解を求めていたように思います。しかし、3年前に起業してから様々な課題に取り組む中で「こんな話があったな」「こう考えれば良かったんだ」っていう当時の学びが生きているような感覚を持ちました。また最近グループワークの授業も増えていると聞いて、多様なアイデアを組み合わせていく時代にピッタリだな、とも思っています。特にオンラインチームビルディングは、とても実践に活かせます。

まわりと違う、独自の道を模索した。

写真左:台湾ワーキングホリデー
写真中央:日本のドローンエクスポでモデレーター
写真右:インドネシアのドローンベンチャー訪問

私はそもそも、よくあるキャリアプランである高校を出て、大学に行って就職をするという道を歩みませんでした。高校は進学校だったので周りはみんな大学に行く人が多かったです。ただ中学校からの腐れ縁の友人が、ハリウッドが好きで映画監督になるためにアメリカに行くって言い出して、アメリカ留学に関心を持ちました。

初めはアメリカに行って、スポーツトレーナーになる夢を持っていたんですが、スポーツトレーナーって医学の領域になるので学費も高価になるため当時の財政状況では厳しく一旦断念しました。当時、アメリカ留学のために大阪で留学準備のアカデミックスキルを学ぶ英語トレーニングスクールに通っていました。卒業後に資金を貯めるために一年くらい様々なバイトをしながら自分で様々な情報を集めていた時に、鍼灸を使ってスポーツトレーナーとして活躍している人がいることを知り、東洋医学に関心を持ちました。

そのタイミングで、ある作文コンテストで入賞し、ニューヨークに行く機会がもらえ、これが初海外となりました。入賞者向けの企画の中で当時ヤンキースだった松井秀喜選手とお会いし、メジャーリーグ内での東洋医学の活用についてインタビューさせてもらいました。その時の話も後押しとなり、アメリカではなく中国・北京に留学して、まずは中国語を学びました。半年後、現地の中医薬大の留学生枠に合格しましたが、もう少し他の世界も見てみたいと思うようになり、結局進学せずに日本に戻りました。

20歳の時、初めての海外長期生活は北京でした。

国際事情(現在の中国事情)の担当講師だった劉先生とドローンイベントで初対面

15年前、たった一人で北京に行った時のことはよく覚えています。それまで日本で一応中国語のスクールには通っていましたが、北京行きの飛行機に乗るやいなや、言葉がわかんない、ナチュラルスピードについていけない。空港は真冬で、空港の人も軍服みたいな服だったのでトランジットだということもわからず、強面の空港スタッフの乾いた対応に「想定以上のアウェイ感がやばい!」って初っ端から焦りました。

ホテルには夜中に着いたんですが、お腹は減っているし、周りに何かないかと探して道路の向かい側にあるローカルのコンビニを見つけました。ひとまず寒かったので食べ物を「温めてください」という表現を電子辞書で事前に調べてハンバーガーを買う時に言いました。でも店員は、レジでラーメン食べながらやる気ない感じで「ハ〜?」と返され、心が折れました。(笑)

半年間の北京留学の後は前述の通り一旦日本へ戻ったんですが、それから3年後に今度は上海で日系の整体院の店長としての職を得て、2回目の中国生活が始まりました。BBT大学の開学を知ったのはその時でした。整体の現場に入るだけじゃなく、ビジネスの仕組みを作ることに関心を持ち始めていた時だったので、タイミングが良かったです。初期のBBT大学は、まさに“サラダボウル”でさまざまな年齢、職業、居住地の学生や先生との知的異種格闘技の連続がとても新鮮でした。当時よく使われていた表現“脳に汗をかく”の文字通り、大いに刺激を受けました。また、私はリアルのつながりも存分に楽しんでいて、入学直後に有志で上海万博に突撃して現地からビデオレターを撮って学友にシェアしたり、またその1ヶ月後にはBBT大学院と大学の上海合同説明会があることがわかり、別のBBTメンバーと賑やかしついでに上海再訪したり、とにかくエキサイティングでした。それ以外でも様々なリアルの勉強会が立ち上がったり、私自身もいろんなイベントを企画し大学側に持ち込んでいたりしました。BBT大学もそんな活動を全力でサポートしてくれました。紆余曲折あり、上海生活は1年ほどで終わりまた日本に戻りました。

日本に戻った時はちょうどtwitterが流行り始めた頃で、面白そうなイベントや人にどんどん会いに行く課外活動に精を出し、BBTの学習はかなり遅れてました。(笑)その時期、BBTの小林慎和先生がプロデュースされていた海外に挑戦する若者が集まるイベントで知り合った方に北京に拠点を置く日本人留学生・駐在員の生活サポートをする会社の社長を紹介してもらいました。北京まで会いにいきその場でインターンに誘ってもらい即決、一度帰国してまた北京に戻り3度目の中国長期滞在がスタートしました。留学経験を生かして顧客対応をしたり、イベントの企画運営をしたりしていました。この間、BBTでの学びは継続していましたが、経済的には厳しく途中で休学に至りました。その後一度復学をしましたが、結局また休学になり、休学期間満了になって最終的に退学しました。その間、インターンを終え東京に戻ってきており、北京でお世話になった社長さんが東京でスタートさせた中国語スクールの立ち上げ&運営に関わったり、ワーキングホリデービザをとって台湾へ渡り、ゲストハウスのフロントとして住み込みで働いたりしていました。台湾滞在中は、台湾人スタッフや集まるゲストと交流したり、様々なイベントに顔を出したりしてインプットを続けながら次の展開を模索していました。結局台湾には1年ほど住みました。

「ドローン」と出会って、世界が変わる?

中国のベンチャー企業主催のドローンサロンにて日本のドローン事業を中国語でプレゼン。
中国のドローンメーカーに遊びに行ったら、プレゼンしてくれと言われ二日酔いでしたがなんとか乗り切った後の拍手

台湾滞在期間も後半に差し掛かった頃、ある技術展示会で「ドローン」と出会いました。最初は高級なおもちゃ?と思っていましたが、情報を集めていくにつれ大きな産業に発展するポテンシャルを感じワクワクが増していきました。調べていく中で、その産業の中心地は中国の深センということが分かりました。当時、ドローンに関する情報は日本語では少なく、中国語でリサーチを進める内にドローンを含め新興産業における言語間の情報格差を目の当たりにしました。なんとか現地のネットワークに繋がるきっかけが欲しくて中国のチャットアプリであるWeChatを活用して開拓を進めていきました。

深センの現地に入る前に知り合いを作るためにWeChatでリサーチを進めていた時、現地でドローンサロンという交流の場を設けている会社があったので、コンタクトを取りました。「日本のドローン産業の現状について公開情報をまとめていくからプレゼンターをやらせてくれない?」とメッセージを送ったら「ぜひ」という返事が来て、深センのイベントに登壇させてもらうことが決まりました。深センでは毎年6月にはドローンエクスポが開催されていることもわかり、それへの参加を目的に深センに前入りし、サロンにて中国語でプレゼンを行ったのが深センでのデビュー戦でした。ドローンサロンはその主催企業のオフィスで行われていて、キツキツに座って25名程度が入れる部屋でしたが、満席でした。外国人としての登壇者としては私が初めてだったようで、物珍しさからかドローンメーカー、証券会社のリサーチャーなどもいて一気に知り合いが増えました。その縁を元に交流を進めていくと、彼らの勤務先でも同じプレゼンをしてほしいと言われ、2週間の間でメーカーや広州の証券会社など3カ所くらいに声をかけてもらいました。交流を経て知り得た情報を自分のメモとしてFacebookに日本語であげていました。

そうやってアウトプットを続けていると、日本側で海外のドローン事情に関心を持っている方々をご紹介してもらったり、日本でのドローン関連イベントにて中国の事例を話す機会をもらったりして、日本側でのつながりも増えていきました。その流れで、日本と中国のドローンビジネス関係者が交流できる場を深センで何度か企画していくうちに、ドローン関連のメディアの方に声をかけてもらいドローン産業ツアーの企画依頼をいただき、前年は参加するだけだった深センのドローンエクスポの2017年度開催に合わせてツアーコーディネートを担当しました。ちょうどBBT大学内のドローン通として知られる大前創希先生と親交が深まったのもこの時期です。

大前創希先生と深センへ

深センという都市のエネルギーに惹かれ、住んでみたくなり求人もちらっと探したんですが、自分がやりたそうな仕事は見つからず、自分で何かやろうと決意しました。まずは自分ができることからやってみようと思い、深センで法人を作りました。私はエンジニアではなく、プロダクトを自分で作ることはできないので、これまで経験もあり、自分が楽しみながらできる「場のプロデュース」事業ならできそう、と考えました。加えて、深センという場所がドローンを始め新興産業の集積地となっていて、その環境を求めていろんな人がもっと集まって来る。そういう都市では国際エクスポ・カンファレンスなどが今後もどんどん開催されるだろうし、事業マッチングやビジネスリサーチのニーズも高まるだろう、という狙いもありました。結果として、継続的に開催していたドローン産業ツアーで、今深セン法人を任されているエアロネクスト社の経営陣とも知り合うことになり、今につながっています。

開拓者として、変化の最前線に身を置いていたい。

計画どおりにこなしていく性格ではない、と20代前半で気がつきました。キャリア論では「計画された偶発性理論」っていう考え方があるんですけど、まさに自分はそうだなと思っています。自身の冒険心、好奇心、感性に従いながら行動していると、異なるラインで進めていたことが、あるきっかけでパッと繋がる瞬間があったり、その先の道筋が見えたりすることがあります。選択や意思決定をする際には、全容は現時点では見えないけれど、何か奥行きや広がりを感じられる方に惹かれます。

そのエリアで起こっていることは何か?人々は何に関心を持っているのか?それらはどんな要因に影響を受けていて、今後どうなっていく可能性が高いのか?このようなことに関心を持ちながら、探検を続けるエクスプローラー。実際に見て、聞いて、調べて得られた情報や知見を繋ぎ合わせながら、思考しアウトプットをしていくアグリゲーター。これらを自分の中で行ったり来たりしながら、変化が起こっている現場にたどり着ける感度をどんどん高めていきたいです。その上で、私一人でみられる世界はたかが知れているので、私が知らない世界を知っている人達との交流は国内外問わず積極的に行なっていきます。

現時点で、私は自分の会社を大きくするとか、社長業をなんとしてでも続けたい、とはそこまで強く考えていません。自分なりに働きやすくて、得意分野が活かせるのであれば、雇用形態にこだわらずプロジェクトベースで進めることに面白みを感じます。特にクロスボーダーなビジネス開拓にやりがいを感じるので、もっと経験値を積んでいきたいです。

大所帯もあまり持ちたくなく、極力身軽でいたく、思い立ったらすぐ行動できるようにいつもバックパックでパパッと移動できるようなミニマリストが理想です。

中華経済は多層で複雑だから面白い、地道な一次情報の開拓にバリューがある。

10年を経てもつながっていて、たまに集まる一期生メンバー

当面は中華圏と日本のクロスボーダーの領域でビジネスを開拓します。比較的、開拓のハードルが高いエリアだと思うんですよ。言語や文化の壁だったり、日本に入ってくる情報の偏りだったりで、近いようで遠い存在に感じている人が多いのではないでしょうか。最近、エアサーチで地政学の講義も見ましたけれども、統治主義的なランドパワーと貿易による経済振興を進めるシーパワーが時代、エリア、民族、思想によって複雑に絡み合っており、一筋縄ではいかない。 だからこそ、マクロな視座は持ちつつも、現地で起こっている変化を、一次情報から捉える視点に「バリューがある」と思うんですね。

特にいま、私はドローンの物流ビジネスに関わっていますが、この領域の未来を占う上では中国の事例を研究することは欠かせません。EC(電子商取引)が急速に普及したため、これまでの物流ではニーズに応えきれず、既存の代替という切り口よりも、全く新しい物流インフラが構築されてきています。新しいサービスが始まることでどれくらい生活が変わり、人々がその変化に対してどのような反応をしているのか、自分自身で体験するだけでなく、現地目線で考えることがとても大切だと思います。さらに、日本ではどのように応用できる可能性があるのかを考察する、いわゆる「タイムマシン経営」の観点が重要になってきます。

研究する対象も、テーマ次第で変わってきますが、一つ有益な切り口は「都市」です。中国では日本以上に各都市間の競争が激しく、ポジショニングを明確にしながら、産業振興、人材誘致策を講じています。ドローンのハードウェアの開発や製造では私が拠点を置いている深センは有名ですが、ドローン物流サービスの観点からは、山間部の事例では四川省の内陸都市だったり、都市圏の事例では浙江省の杭州がモデル都市になっていたり、と注目するポイントが変わってきます。公開情報や識者へのヒアリングなどである程度の開拓プランは見えてきますが、核心部分はやはり現地入りして、より“メッシュ“の細かい情報を元に考察を加えることで精度を高めます。

満足感より幸福感。

2020年春期に「組織論基礎」、「心理学」と「自己エネルギー創造」の3つの科目を並行して受講し、理解が深まったことがあります。それは“自分で意思決定をして進むこと”が幸福感をつくり、その状態でいることが高い創造性につながっている、つまり、自分軸を持ち行動をすることで幸せを感じながら高いパフォーマンスが出せるのだ、との学びを得てとても腹落ちしています。まさに起業してからの3年間はそのような状態でした。満足感と幸福感は違っていて、満足感は他人軸で、与えられた環境に対して可もなく不可もない状態、つまり、満足感は他人からの期待に応えた結果です。どれだけ人を外から見ても、その人が本当に幸福かどうかはわからない。客観的な軸では自分の幸福感は測れない。言い方を変えれば、思う存分自分らしさを追求し、探索していける環境はとても幸せであり、発想を阻害する要因が少なくなるため、創造的な活動を持続させることができる。ですので、自分の幸せをどんどん大きくしていけるように自己投資はどんどんします。ちなみに、この学びのアウトプットとしてBBTの有志で「ターニングポイント」というインタビュー番組を作る企画を進めています。第一弾はBBTの先生を中心に、インタビューのオファーを出しており、人生における意思決定や教育に関わるきっかけになったエピソードなどを掘り下げています。
エピソード動画はこちら

久しぶりに「三年日記」を書いています。

起床時間、朝の活動、その日の出来事やそれに対しての自分の感情、アイデアなどを記す

コロナの期間を利用して、この3年間の振り返りと次のステージへの布石を打ち始めています。たぶん5年前10年前に比べて確実に幸福感が増していると思うんですね。意識的に行動してきたし、やっぱり自分の変化が実感値としてあるっていうのが大きいです。内省を通じて、一つ一つの大小様々な決断や行動が今につながっていることを再認識しています。劇的な変革が起きてきたわけじゃなく、あくまでも変化の積み重ねなんです。決断と行動は1セットで、その時にできるベストな一歩を踏み出したことが結果的に何か別のきっかけを誘発している。

実は、8年前にも集中的に振り返る習慣を持っていたんですよ。自分にあまり自信も持てず元気もなかった時代(タイミング)でしたが、「三年日記」に必死に一日のメモを取るっていうのをやっていました。毎日振り返りを行い、自分を理解しようとしていたり、起きた時間や読んだ本などもメモして自己肯定感を高める工夫をしたり、していました。途中からそのメモ機能をFACEBOOKの投稿で代替したりして、しばらく日記は書いてなかったんですけど、前期受講した勝屋先生の「自己エネルギー創造講座」で自分を深掘りしていくワークを行い、新しい発見があったので、これを機に再開しようと思い立ち、昔と全く同じ様式の「三年日記」を購入して手書きで書いています。

再び中国へ。再び挑戦の舞台へ。

自己エネルギー創造講座にはゲストスピーカーとしても出演(勝屋先生と元BBT教務室長の加藤さん)

2020年の1月に短期出張で日本に戻った後、コロナが中国、そして日本で蔓延し、中国への再渡航ができず日本で足止めになっています。当然、今年前半の案件は全部吹っ飛び、売り上げは激減していますけど、キャッシュアウトが少ない経営体制なので大事には至っていません。

で、ようやく2020年11月上旬に戻れる見込みがたちました。ビザの取得条件が厳しくなり、準備する書類や手続きも煩雑でエージェントに助けてもらいながらなんとかクリアしました。ですが、フライト料金は通常の約3倍になっていますし、便数も少ない。さらに、実費負担での2週間の隔離期間もあります。気軽に行き来していたのが嘘のように状況が一変しました。

withコロナですが、急に日本で足止めになってしまったので深センの住まいはそのままで家賃も支払い続けています。1週間の出張のつもりで来たのに、もう9ヶ月も経っています。(笑)。

こんな状況下で、救世主になってくれたのは実はBBT同期の方なんです。2010年入学当時の最年長の方で、入学時はアメリカにお住いでした。日本に戻られたタイミングでお会いしてからかれこれ10年、本当に家族の一員のように私を応援し、成長を見守ってくれてきたメンター的存在です。その方が住まいを使わせてくれているため、スムーズに日本滞在への移行ができました。その同期の方は、私の父親よりも年上なんですが、父親との共通の興味分野があったので、ある日二人を引き合わせたところとても意気投合して、いい友人関係になってしまいました。(笑)これまでの感謝の気持ちを込めて、昨年深センに父親と二人で招待して、今の中国の勢いを感じてもらいつつ、グルメを堪能いただきました。年齢も住んでいた場所も全く異なる方とこうやって家族ぐるみの付き合いができるのもBBTの醍醐味だと思います。

今回、中国に渡航したらしばらくは一時帰国でも日本には戻りません。入出国が面倒ですし、フライト代が高騰してしまっているのでコスパが悪いです。行ったきりで半年以上というのは、15年前に北京に留学した時の感覚に近いなと思っていて、当時の様子を思い出しながら武者震いします。一般渡航が出来ないこの期間は、ある意味ではチャンスでもあり、色々な仕込みができます。

これからBBTの学生になる方へ

上海のビジネスカンファレンスのドローンセッションにて登壇。もっとこういう場でのアウトプットを増やすのをイメージして、語学学習は継続中

自分を発信し行動あるのみ、だと思います。何に興味があるかとか、取り組んでいることを意外と人前で言わない人が多いなと思っていて。それはもったいないです。発信することで、興味がある人がババッと集まり仲間ができ、実現性が高まっていくのがBBT大学の良さです。理論より実践です。もちろんBBTのコンテンツは勉強にはなりますが、何を学ぶかに加えて誰と学ぶかって、とっても重要だと思うんですよ。

自分からアウトプットする場を作っていくのも大切です。最近の課題ではグループワークが多いので、交流できる人たちが増えたことはプラスです。誰かに話をするためには言語化せねばなりませんので、必然的に考えが整理されます。そして、それぞれの仕事やバイト現場での実践知を共有したり、されたりすることでよりリアルな学びが促進されます。

最後に、私がBBTに入った頃にアウトプットの具体的なイメージとして持っていたのが、BBTの先生と一緒にプロジェクトをしたり、仕事を有償で依頼してもらったりすることです。BBTの先生は皆さん実務家なので、学生としてだけでなく、ビジネスパートナーとしての関係になれることが恩返しになると考えていました。実はその目標は達成できました。起業後してから半年後、小林慎和先生にチームメンバーの深セン出張の現地アレンジの仕事を依頼してもらいました。小林先生がプロデュースされたイベントが私の一つの転機になっているので、先生にこうやってクロスボーダー案件での依頼をもらえたことはとても嬉しかったです。その後、BBTの経営者研修プログラムである向研会の視察アレンジの仕事も担当させてもらえ、ビジネスでの恩返しができました。これからもこの意識は持ち続け、ビジネスで先生とご一緒できる機会をどんどんつくっていきます。是非BBTメンバーの力を集めて面白い事業をプロデュースしていきしょう!

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