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タイから世界的なダンサーをデビューさせたい。
それが「マサコ先生の夢」。

平田 昌子
タイで文部省公認バレエ学校、タイで唯一のバレエ団設立

東京生まれ。福澤緋紗子バレエ研究所でバレエを始める。函館バレエアカデミーを経て、橘バレエ学校で学ぶ(31期卒業)。橘バレエ学校在籍中より、バレエ団の公演に参加。牧阿佐美、三谷恭三、川口ゆり子などに師事。NHKバレエの夕べ、文化庁移動芸術祭などで、バレエ団の日本全国公演にも参加。足の怪我で退団後、切り花輸入商社に就職し、1989年にバンコク支店勤務となる。その後、タイ人のクラシックバレエの可能性と将来性に魅了され、再びバレエの世界へ。1991 年バンコクシティバレエ(BCB)設立。毎年度末の学校公演とバレエ団公演を行う。タイ人ダンサー、コレオグラファーをはじめとするアーティストとしての才能を世界へ発信すべく使命を感じ、その普及と振興を目指す。

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好奇心は、人一倍。

一度はバレエ・ダンサーの道を断念したが、異国タイでバレエスクールをゼロから設立。いまやタイの文部省認可のスクールまでに成長。学んだ生徒は、優に2,000人を超えている。

バレエの道から、切り花の会社へ。

東京で生まれ、小さい時からバレエ一筋でした。父の転勤で函館にもいきましたが、そこでもずっとやっていましたし、東京に戻り、牧阿佐美バレエ団附属の橘バレエ学校へ入学しました。卒業後バレエ団に加わり、プロを目指して本格的にやっていましたが、年々、現実を見るにつれ、自分よりも沢山上手な人もいるし、歳をとればとるほど、実態がわかればわかるほど、バレエは日本では無いなと思うようになりました。それは21歳くらいの時のことです。日本のバレエ界の限界というものを感じてしまいました。

足の怪我もあり、このままずっとバレエを続けていても親不孝だと潔く辞め、切り花の輸入商社に就職しました。すると、いきなりバンコク支店への転勤辞令。そのままタイとのご縁ができてしまったのです。

当時はバンコクって、台湾なのか、どこの国なのか、そんなレベルでタイという国がお友達に言ってもよく分からない時代でした(笑)。バレエを辞めて、ちょっとお花のアレンジメントを習ったりしていたものですから、そのスキルを買われてのバンコク駐在辞令でした。

そこで、その会社でフラワーアレンジメントの事業を立ち上げて、駐在の日本人の奥様たちにお花を教えたりしていました。でも簡単なアレンジメントでしたらから、教えることも枯渇してきて、教えた人の方が上手になられる方も多くて、私自身が手持ち無沙汰になっちゃったんですね。で、そうこうするうちに私が結婚することになって、お花の仕事は仲間にお願いして結婚生活を優先させていたんです。

再びバレエの世界に戻って。ブランクは10年ほどありました。

結婚した後に、やはり自分の中で「カラダを動かしたい」というエネルギーが湧いてきて、元々プロでやっていたっていうこともあり、みんな「是非教えてください」っていう事から始まって、バレエを教えることになりました。

最初は、趣味でお稽古的に教えるだけでしたが、とても強力にサポートしてくれる方がいて一緒にやることになりました。最初は日本人会のサークルみたいな感じでしたね。 当時は駐在の人口も増えてきている時でしたので、いきなりお稽古される方がバーンと増えてしまって、発表会とかをしなくてはいけないし、場所は必要だし、お金の出し入れも計算しないといけない。もう手弁当でやっている場合じゃない。ということで、主人と相談して「この機会にバレエスタジオをつくろう!」ということになったのです。

それが1991年、バンコク・シティバレエというスクールの設立になりました。会員さんは、当時98%日本人。そのうちのタイ人が2人ほどいて、その2名は現在、先生になってメインで受け継いでくれています。
https://www.facebook.com/bangkokcityballet

単なる習い事ではなくしっかりとバレエを極めるスクールへ。

その頃、タイでは、子供にバレエを習わせるのは、修了証を得て学校の受験に有利になるようにするものでした。

でも私としては、そういったお稽古の経験だけに終わること〜バレエをカタチだけ齧って体験しておしまい〜というのは教える側からしたら、ちょっと違うなと。ちゃんとバレエっていうものを教えたい、伝えたいと、その時に火がついてしまって。単なる経験ではなくて「芸術、パフォーミングアートとしてのバレエを伝えること」をメインテーマにスクールを作りたいと立ち上げました。

10年、20年とスクールを運営している内に、バレエを真剣にやりたい、バレエを仕事にしたいという人も増えてきました。そこで、その人たちの受け皿として「バンコク・シティバレエ・カンパニー」をつくりました。いわゆるバレエ団ですね。そうすれば、ウチの生徒さんだけではなく他でバレエを習っている人も集まってきて、全体レベルが上がっていきますね。

現在、正式メンバーは20数名ですが、バレエ団っていうのはパフォーマンスを月に1回とか、年に何回か発表公演をするものです。正直、バンコクではシアターの数があまりにも少ないので、確実といえる定期的な公演ができないのが現状です。ロシアやヨーロッパなどの海外のバレエ団の方々も応援しにきてくれますけど、不定期にならざるを得ない。その辺が経営サイドとしては悩みの種ですね。

バレエだって、マネージメントサイドになると
経営や会計も知らないといけない。

なにしろ、自分の中で学業を学びたかった。親の期待から外れ、推薦で早稲田や上智大に行く道を断って、バレエの道に進んだし。当時の状況ではバレエを選ぶということは、朝から晩までバレエ漬け。それ以外の選択肢は私にはなかったので、バレエしか知らない人生だったんです。

そんな潰しの効かない人生でしたので、スクールをマネジメントしていくことになったら、経営とか会計を覚えないといけない。けれど、わからない。そんなややこしいことを学んだことない訳です。

その後、通信教育で会計が学べることを知りましたが、会社や組織についての知識が乏しいのに、急に会計を学んでも理解不可能と思ったのです。ましてやタイでは会計の提出書類はタイ語でなくてはなりませんので、やはりこのまま疑心暗鬼のまま、タイの会計会社にそれを委ねなくてはならないのか、とあきらめかけていました。そこでようやく見つけたのが総合的に学べるBBT大学だったんです。

大学はゼミテーマを決めることから始めた方がいい。

2010年の秋入学です。BBT大学創立1年目ですね。当時はインターネットの通信環境も悪く、何度も辞めようとしました。あまりにも繋がらないので他人に八つ当たりするということもありましたが、何とか卒業できました(笑)。

もちろん、大前学長のことはテレビでもお顔は拝見していたので知っていましたが、都知事選に出馬したビジネス界のエライ人ぐらいの認識でした(笑)。でも、毎週「大前ライブ」で拝見して、いつもこんなに寝ないで仕事して、こんなに自由に遊んで100%出来る人っていうのは凄いなって、これは本当にもう魅力的としか言いようがなかったでした。

勉強になったのは大原先生の「会計」の授業だったでしょうか?「大筋をつかむこと」の大切さを知り、また奥深さもうかがえて、興味が湧きました。先生の温かさが伝わる授業でしたね。 その後、ちょうど会社の経営が落ち込んでいた頃、何かそれを挽回する手立てがないか、新規事業として何か出来ないかなという中、卒論は谷中ゼミ。新規事業を考える上での手立てを指導してもらおうと思って受講しました。

いま思うと、大学4年間はできれば一年生からゼミテーマを決めて、やりたいことを明確にした方が自分の思考を選択しながら科目をチョイスできると思います。その卒論テーマを完成させるために、必要な単位や科目を学ぶ。そこにLAが寄り添ってアドバイスをしてくれる。そんな方が、学びが有機的に体系化していくように思えました。いきなり、訳もわからず「必修科目」というプレッシャーではなく、大きな目標を先に描けば、そのために必要な物が見えてくるという目線です。

BBTは、学びディズニーランド。

入学したら、興味が沸く科目がたくさんありました。あれも聞きたい、これも受けたい、学びのディスニーランドに来たような感じでした。時間が許せば、すべての教科に興味がありました。だけど当時は、本当に通信環境が悪くてガッカリ。それと仕事と課題の提出が重なってしまうと、なかなか都合もあいませんでした。だから8年もかかってしまって(笑)。

結局、卒論は会社の新事業企画でした。観光客の方にバレエというか、ダンスを体験してもらい、1回でもバレエの衣装を着たり、それを写真にして思い出として残したり、そういうビジネスが成り立つかどうか、というものでした。

実際、リアルにトライしようとしたんですが、その頃、うまい具合にスタジオの空きがなくて、もう少し先でやろうと思っていたら本業で忙しくなってしまって、それでも、虎視眈々と事業機会をうかがっています。

私の強みと思えるのは、好奇心の強さかもしれません。やりたい、知りたいということが興味関心とても強い。で、行動に移してみる。結果は、その行動次第だと思っています。ですから、行動派の方を尊敬します。

「マサコ先生」と呼ばれています。みんなが喜んでいる顔をみるのが、いちばんの幸せ。

スクールを開いて、ほぼ30年。2000人以上の人が学びに来てくれたことになります。昔の教え子が戻ってきてくれて先生をやってくれたり、そのお子さんも通ってきてくれていたりして、親子2代でダンスを楽しんでくれている家族ぐるみの方もいます。

タイのダンサーを、皆さんご存知ないと思うのですが、かなり良い線いっています。まだまだ世界的にアピールできていないのが残念ですし、それが私の責任かなと思っています。それが出来て、それを素晴らしいって認めてくださったら、どんなに嬉しいかなって思っています。そこが自分のライフテーマかもしれません。原動力って、生徒や団員が踊る喜びを感じてパフォーマンスをし、それを見て感動する観客を見ることかもしれません。

自分の為にすることって詰まらないですよね、たかが知れていると思います。人が喜んでいる姿というか、それを見ていると、自分はいちばん幸せを感じることがよく分かっています。だからこそ、経営とは、生徒さんやその家族、団員、スタッフが喜んでいる状況を作れる仕事でもあると思っています。

Bangkok City Ballet School and Bangkok City Ballet Company Company

https://bangkok-city-ballet-school.business.site/

タイで唯一のバレエ団、現在タイ人24名の団員によりクラシックバレエ、コンテンポラリーダンスのレパートリーを上演する。海外ゲストダンサーやコレオグラファー、ゲストティーチャーを積極的に招聘している。

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